迷子であることを恥じない人生を送れるのは彼らのおかげだと思うのです。
現在、転職活動中のアラサー女性。未婚・子なし・彼氏なし。独身ロード爆走中だ。なんでこんなことになっちゃったんだろうと思うこともしばしばあるが、それでも私はなんとかそれなりに生きている。
私はBUMP OF CHICKENが好きだ。中学1年の時から好きだ。あの頃は『天体観測』がスマッシュヒットを飛ばしていた。シングルCDをあんなに繰り返しバカみたいに聴いたのは後にも先にもあの1枚だけだ。
初めは音の感じとか、ヴォーカルの声とか、ラジオ番組で信じられないくらいバカ発言をしているメンバーのわちゃわちゃ感が好きだった。初めて行ったライヴは高校1年生だった。ロックバンドのライヴなんて行ったことなかったから音が大きくて驚いたような気がするが正直もうあまり覚えていない。
当時の私は彼らの楽曲が好きだと友人に言えなかった。何故か恥ずかしかった。自分の心を覗かれるような気分になったのだ。今になって思うのは、彼らはいつも”心”をうたうから、”心のありか”をうたうからだと思う。思春期真っ盛りの私は自分の心の中を覗かれるなんてまっぴらごめんだったのだ。
「「ヘンだな僕は君自身だよ 自分が信じれないのかい?」」(ランプ)
「大嫌いな弱い僕を ずっと前にここで置き去りにしたんだ」(ダイヤモンド)
「愛されたくて吠えて 愛されることに怯えて 逃げ込んだ檻 その隙間から引きずり出してやる」(ギルド)
”心”というのは、目には見えないが存在していると信じられる。実体がないものの、多くの人がその存在を疑わない存在って他にあるだろうか。それくらい”心”はみんなの傍にある。いや、心こそ私で、心こそあなたなのだろう。そして、目に見えない癖に容量は限られていたりする。心のタンクがいっぱいになるとそれは涙となって溢れてくる。時には涙が流れて初めて容量オーバーだったことに気付くことがある。
「探さなきゃね 君の涙のふるさと」(涙のふるさと)
「名前のない涙がこぼれて 体の壁が解らなくなる」(コロニー)
「涙は君に羽根をもらって キラキラ喜んで 飛んだ踊った」(Butterfly)
BUMP OF CHICKENは人間臭く心を歌い続けている。私はそれを聴いて、逃げ出したくなる日々の中で自分に向き合い続けていられる。
「心だけが世界」(パレード)
そう、周りの人がなんと言おうが私の目で見た、私の心を通して見たこれこそが世界なのだ。
現在、転職活動中のアラサー女性。未婚・子なし・彼氏なし。独身ロード爆走中。そんな私でも胸張って生きていいんだって言ってくれるようなBUMP OF CHICKENの楽曲が私は大好きだ。
音楽は世代を超えることを実感している
私は30歳だ。
彼の楽曲を初めて聴いたのはいつだったのだろうか。覚えていない。そう、覚えていないくらい私の人生がスタートした時には小田和正が、小田和正の楽曲が当たり前のように存在していた。
大人になって真剣に聴き始めたのは、毎年年末に放送される音楽番組を見てからだ。
大御所である彼が若手ミュージシャンとコラボレーションするわけだが、無論、その時の私はその若手ミュージシャン目当てで観ていた。
しかし、さっき車で聴いていたのは小田和正なのだ。
彼の声は独特なようで癖がなく、歌詞がちゃんと聴きとれる。
ピッチに狂いはなく、メロディに乗せる歌詞の嵌め方は独特である為、カーステレオから流れるそれに合わせようとしても合わない。
何度挑戦しても合わない。今度こそ!・・・合わない。
結果、何度もリピートしている。完全に癖になっている。
そしてアウトロで最高に盛り上がって終わる楽曲が多い。
完全に癖になってしまう。
私は東北に住んでいるのだが、東日本大震災の後、彼が東北に来て歌った何度かに足を運んだ。
本物の歌手を初めて見たような気がした。
音が、声が、"うた"として自分の身体と心に沁み込んだような感覚だった。
うたが心まで届くと簡単に涙が流れるんだ、そう思った。
そして、周りを見渡せば私の親とそう変わりない年代の人が涙を流したり、笑ったり、叫んだりしている。
あぁ、なんだ歳なんて関係ないんだ。いつまでもこうやって青春で居られる。もしくは、青春の日々に一瞬で帰れるんだ。
全ては音楽のおかげだ。
彼が音楽をやっていてくれてよかった。
彼と同じ時代で音楽に触れることができてよかった。
そして、時代が変わっても彼の音楽は生き続けるのだと思う。
その時、言ってやるんだ。
「私は小田和正の生歌を聴いたんだ」と。
5月4日に2018年の全国ツアーをスタートさせた。
全国21か所、48公演。私より40歳も年上。
またチケットを取って聴きに行くのだ。
(今はまだ抽選結果待ちだけれど)
ELLEGARDEN復活に沸く世の中のはじっこで
今日(日付が変わって昨日)はELLEGARDEN復活のニュースに、あちこちから歓喜の声が聞こえた。
Twitterを開けば
「エルレ復活まじか…泣く」
「エルレ…(つд;*)」
「生きててよかった!」
の文字。
タイムラインには所謂エルレ聴いてました世代が多いわけで、このような声があがりまくるのは承知の上だ。
しかし、わたしはELLEGARDENの楽曲を知らない。
ELLEGARDENになんの思い入れもないわたしは泣けないのだ。喜びの涙を流せないのだ。一番近くにいる友人たちが歓喜の雄叫びをあげているなか、無表情でタイムラインをスクロールするのだ。
いままで仲間だと思っていた友人ですら遠く感じる。いや、彼らからしたらわたしがこの話題についてこないのが疑問だろうから、わたしがひとり離れ小島にいるだけなのかもしれない。
あれ?なんだろうこの感じ、何かに似てる。でも思い出せない、なんだろう。
ひとつ思い出せるのは、フェスで細美武士のソロステージを興味本意で見に行ったとき、細美氏の歌声に合わせて「♪メーイクアーウィーッシュ」とそこにいた全員が歌い始めたときの感覚だ。
よく聞くとすすり泣きも聞こえる。
やばい、わたしが居るべき場所じゃない。
そう思った。
Twitterのタイムラインでその感覚を久しぶりに味わうなんて。
それほどわたしのタイムラインにはELLEGARDENを待ち望んでいる人が多かったなんて。
気付かなかった。気付けなかった。
いや、だからむしろわたしがエルレを聞いてなかっただけなんじゃないかと思う。
待ち望んでいたリスナーが喜びを噛み締めているなか、わたしはなんだかわからない孤独感を噛み締めている。
ELLEGARDEN復活、おめでとうございます。
復活ライヴ、より多くのリスナーが行けますように。